怪奇と耽美の融合
僕の記憶の中で最も古い愛読書は『妖怪の謎と不思議』という本である。お化けのバケちゃんと妖怪の妖子ちゃんというキャラクターが出てくる子供向けの学習漫画のようなものだった。僕はその中に出てくる不思議な掛け軸画に惹かれていた。首かじりという妖怪なのだそうだが、白目がちの幽霊が一心に死体の首をかじっている姿が描かれている。幼稚園児だった僕はなぜかこの掛け軸が好きだった。幽霊の肌の色と口の周りや生首から落ちる血の色のコントラストが大変美しく思えた。最近になってこれは吉川観方という人の画によるものであるということを知った。
その頃、テレビではゲゲゲの鬼太郎の放送が始まり、当然妖怪好きの僕は毎週楽しみにしていたわけだが、この鬼太郎との出会いが僕の少年時代の方向性を決める重要なポイントとなった。小学校に入学したものの友達はほとんどおらず、すでに学校そのものが僕にとっては戦場であった。勉強もスポーツもダメ、偏食がひどくておまけに無口で体の大きさのわりに気が小さいから格好のいじめの対象になった。子供の頃から人並み外れて大きかった僕はまるでお化けかばい菌のように扱われ、自分でも“やはり俺は妖怪なんじゃないか”と思うようになっていた。こうして妖怪スギウラタツヤは((カタカナで書くと水木しげるの妖怪っぽく聞こえる)生まれたのである。放課後も学校の同級生と遊ぶことはほとんどなく、一人で水木しげるの著書を読み漁り、鬼太郎のおもちゃで遊んでいた。ご存知の方もいらっしゃると思うが、当時ゲゲゲの鬼太郎のおもちゃといえば、鬼太郎の家だのすなかけばばあの家だの、ねずみ男の家だの、妖怪郵便局だの妖怪温泉だの妖怪城だのドールハウスとジオラマの間の子のようなおもちゃがメインだった。僕はこれらをたくさんコレクションして自ら妖怪の街を作って楽しんでいた。僕にとってはゲゲゲの森の妖怪たちは学校の同級生達よりも仲間だし、より近い存在だった。僕にとっては妖怪たちよりも現実の同級生達のほうが恐ろしい生き物だったからだ。
僕が現在でも『俺は悪魔だ』と言ったり、『俺は妖怪の世界から人間界へ留学に来たプリンスだ』と言ったりするのは決してふざけているからではなく、子供の頃に自分と他の子供達との間に引かれたボーダーラインに対する意識が強く残っているからである。お陰で僕は今でも人間が相手だと人見知りがひどく、気が小さい人間のままなのだが。
こうして人間世界を追放になった妖怪スギウラ少年は、自らを醜いお化けだと思い込み、ますます人前に出なくなった。写真を撮られることを嫌悪し、学校以外の場で同級生達の前に決して姿を現すことはなかった。本当は学校も大嫌いだったけど皆勤賞をもらうために頑張って登校した。
自分を醜いとはっきりと認識し始めた妖怪スギウラ少年はせめて目と耳には美しいものを、と身の回りに美しいものを置こうとするようになった。以前から好きだった美術の世界にさらに強い興味を示し、クラシック音楽を聴いたりもした。また中世から近世にかけてのヨーロッパ貴族の華やかな文化に憧れた。
九歳の頃、僕はある漫画に出会う。池田理代子原作のベルサイユのばらである。僕が生まれた頃はすでにベルばらブームは終わっていてたはずなのだがなぜか愛蔵版と呼ばれるサイズになって発売されていた。僕が気に入ったのはそのストーリーもさることながら美しい絵だった。きらきらと星のように光る大きな目、華やかなドレス、そしてヨーロピアンクラシック。僕の欲しがっていたものがあった。こうしてベルサイユのばら(耽美)は水木しげる(怪奇)ともう一つの僕の礎となった。2本の柱は決して交わることなく対岸に位置していた。
しかしある日、僕はゲームショップで1枚のゲームソフトを手にしていた。“悪魔城ドラキュラX〜月下の夜想曲〜”である。ゲームのシステムに興味があったとかこのシリーズのファンだったとかそういう理由ではない。いわゆるジャケット買いというやつである。表紙に非常に美しい男性の横顔が描かれていた。僕は今までにこれほどまで美しい男性は見たことがなかった。なぜなら本来耽美のカリスマとして存在する少女マンガにとって男性キャラクターはどんなに頑張っても脇役にしかならず、女性キャラクターに比べて華やかさや魅力がなかった。ちょうどバービー人形のケンのような物だ。しかし彼は違った。僕の知っているどんな女性キャラクターよりも美しく、魅力的だった。彼はヴァンパイアなのだという。ヴァンパイアは妖怪。妖怪なのに美しいものもいる。このとき、今まで決して交わることのなかった2つの柱がゆっくりと近づいていった。僕はこのゲームを文字通り遊んで遊んで遊びつくした。美しいキャラクターと美しい城、作りこまれた荘厳で美しい音楽たちがなによりも素晴らしかった。
しかしこれは序章だった。もう一つの巨大な波がもうすぐそこまで押し寄せていた。僕の人生を180°狂わせることになった究極のエレガントゴシックバンド、MALICE
MIZERの登場である。世界観は悪魔城と非常に酷似していたが、ゲームの世界のキャラクターと違い彼らは生身の人間である分、かなり生々しく強烈な存在であったことには違いない。リーダーであるmana様の趣味の影響もあるだろうが、MALICE
MIZERはまさに耽美と怪奇という僕の2つの柱をとうとう一つに纏め上げてしまった存在である。ベルばらのように華やかなのにところどころに死神やヴァンパイアといった怪奇アイテムをバランスよく混ぜ合わせている。そこにアンバランスさや不自然さは全く感じられない。もしかしたらこの時点で初めて一つになったわけではなく、元々一つにまとめあげられるべきものだったのではないか、と感じるようになった。言われてみれば水木しげるの原画もアニメとは違い、細密画のように細やかで美しいし、なによりも僕はあの首かじりの色彩を美しいと感じた。怪奇には怪奇の美が存在する。そしてそれらは人間とか一般常識とかいったものを超越した美しさである。僕が求めていたものはそういったオブジェクトだったのだ。
こうして僕はエレガントゴシックの道を進むようになったのである。EGLファッションに身を包み、エレガントゴシックな音楽、絵画、映画、舞台を探す日々が始まった。怪奇と耽美、どちらかのみが存在し、どちらかが感じられないオブジェクトは嫌いではないがつまらないことが多い。できれば今後もこのサイトというスペース上であるいはブログで、それらのアイテムやオブジェクトをたくさん紹介できたら、と思う。もちろん僕自身もまだまだ勉強中の身なので文章も内容も未熟だと思うが、自分が選んだスタイルなので、それを信じてやっていけたら、と考えている。