絵画を巡る旅

僕は絵を描くのが大好きだ。紙とペンさえもらえば絵を描いている。一人っ子で内気で遊ぶ友達もほとんどいない僕は絵を描くかおもちゃで遊ぶしかなかった。しかしまた、描くだけではなく、絵画の鑑賞もまた楽しいもので、僕は幼い頃から絵画に親しんだ。
僕の最も古い絵画の記憶は、倉敷の大原美術館にあった絵画たちだった。。子供の頃、僕は家族に連れられてよく、倉敷の大原美術館を訪れていたのだが、両親の話では、当時四、五歳だった僕はいつも美術館に来ると、ある『馬の頭蓋骨の絵』をいつまでも眺めていたのだという。何故その絵をいつも眺めていたのかは当時の僕にも今の僕にも全く分からない。なにしろ肝心の僕がその絵を好んでみていた事すらほとんど記憶にない。最近になってその絵が馬ではなく、牛であること、タイトルが『頭蓋骨のある静物』ということ、作者がパブロ・ピカソであるということを知った。しかし僕が好んでこの絵を眺めていた事はほとんど記憶にないので、これ以上この絵について深く掘り下げることはできない。

僕の記憶がはっきりしている中で興味を持った最初の画家は、アール・ヌーボー時代のパリに生きた、アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939)である。
デパートの美術展で偶然入場したのがきっかけだった。ミュシャの絵は、小学4年生の少年が抱いていた『絵画』というものを激しく覆した。そもそも芸術としての『絵画』はこむつかしく、陰気で、重苦しいイメージを持っていた僕だったが、ミュシャの絵はそれとははっきりと違う世界のものであると認識した。明るく軽やかな色彩、繊細なラインで、描かれている女性の表情は繊細で、衣装もきらびやかで美しく、むしろ日本の少女漫画に似ている。ミュシャは元来広告や芝居などのポスターの製作も行っていたから、いわゆる『こむつかしい芸術』にはなりえなかったのだろう。だからこそミュシャの絵は誰にでも楽しむことができ、誰にでも理解することができたのだ。その中でも最も僕が気に入ったものは『JOB』と呼ばれる女性のポスターである。煙草メーカーの広告として作られたこのポスターは、白いドレスをまとった亜麻色の髪の美しい女性が描かれている。いわゆるこれが僕が人生で最初に好きになった『絵画』である。理由は至極単純でこっぱずかしいものだが、偶然描かれていた『彼女』が当時の僕の理想の女性像だったのである。その日のうちに、僕はそこで売られていた『JOB』の額入りのポスターを買った。\29000円という、子供にはそこそこ高い買い物ではあったが、僕の誕生日も近かったし、正月前だったので、あっさりと買ってもらえた。
やがて僕はミュシャの中の装飾様式を自分のお絵かきの中に取り入れるようになる。ミュシャの絵の中の女性は不思議な頭飾りやネックレスを付けている。僕はこれらにとても興味をもった。自分のお絵かきの人物にも複雑で奇妙なアクセサリーをたくさん身に付けさせた。また、ミュシャの手法を真似て、人物画の周りに果物を描いたりした。

そんな僕に2度目のルネッサンスが起こる。中学生のとき、『世界ふしぎ発見』という番組で、ウィーンの画家、グスタフ・クリムト(1862〜1819)の『ユーディット』を見て衝撃を受ける。金色の部屋でうっとりとした黒髪の女性を描いたものである。彼女は片手に男性の首を持っている。僕はこの男性の生首よりも、うっとりとする眉の太い美女の表情に注目した。もちろん僕はすぐに画集を手に入れた。しかし、僕はその中に『ユーディット』を超える大作を見つけるのである。『アデーレ・ブロッホバウアーの肖像T』である。やはり黒髪の、眉の太い鼻筋の通った美女が金のドレスをまとって優雅に腰掛けている。なんという絢爛豪華な世界だろう。煌びやかな金色と絶世の美人という不思議な調和は僕を釘付けにした。
他にも、巨大ともいえる大作、ベートーベンフリーズも僕の度肝を抜いた。一体何を目的として、どんな気持ちでこんな巨大な大作を作り上げたのか。まるで一つの物語の紙芝居を見ているようである。壁画に記される物語はまるでエジプト神話を語るピラミッド壁画のように、煌びやかで荘厳で、神々しい。
しかし、なぜかクリムトの作品で最も有名とされる『接吻』にはなぜか惹かれなかった。それは何故かと今、自分で考えてみた。『ユーディット』も『アデーレ・ブロッホバウアー』も『ベートーベン・フリーズ』も、絵画の中の彼らの世界のベクトルは我々に向かっている。ユーディットもアデーレ・ブロッホバウアーも我々に向かって視線を送り、ベートーベン・フリーズは神の物語を我々に伝えようとする。しかし、『接吻』における彼らはあくまで恋人同士であって、彼らのベクトルはお互いにしか向いていない。我々は彼らの姿を他人行儀に覗いているだけで、絵画として見ることはできても情報を受け取ることはできないのだ。
ともあれ、クリムトの荘厳な金色の世界に惹かれた僕は、『そうか、金か!!』と、バカの考え休むに似たり、なひらめきを起こす。当然、僕は狂ったように金色を使い始めた。美術の授業でも、明るい暖色系と金色を使った作品ばかりを提出した。まるで熱に浮かされたように金色で作品を塗り固めていく僕の姿を美術部の顧問は呆れた目で見ていた。顧問は美術の教師というだけではなく、本物の画家でもあった。ただ、彼の絵はむしろ『エル・グレコ』の宗教画のそれに近かった。キリスト教だったから、キリストの絵をたくさん描いていた。その隣で僕は何かに憑き物に憑かれたように女性の肖像画を描いては金色と赤とピンクで塗り固めていった。学校へ僕を迎えに訪ねてきた母親とその顧問が話していたところによると顧問は、『彼は確かに線画は綺麗だ。だが、色塗りがメチャクチャひどい。もっと丁寧に色を塗らなければ』というようなことを言っていた。確かに僕の最たる弱点を鋭く突いていた。僕は線画を短時間で仕上げる。色塗りも適当のぐちゃぐちゃだ。早い話が面倒くさいのだ。短時間で線画を済ませ、色塗りも適当にやっつけ仕事で終わらせ、(絵の具をそのままぶちまけたっていい)早く次の題材に取り掛かりたかった。僕はじっくり時間をかけて1枚の絵を丁寧に仕上げるよりも、短時間で何枚もの絵を自分のセンスだけを頼りに描いていくしかなかったのに。

やがて3度目のルネッサンスが14歳の時に訪れる。母親に連れられて日本橋の高島屋(だったはずだ)にやって来たとき、『不思議のアリス展』と呼ばれるものを訪れた。国内外のアリスの資料や書籍、挿絵を展示したものだ。昨今のロリータブランドではしきりに人気モチーフの一つとしてもてはやされるアリスだが、ぼくはさほど洋服のモチーフとしてはアリスは好きではなく、一着しか持っていない。その一着もテニエルの原画モチーフではなく、Baby,The Stars Shine Brightオリジナルのアリスプリントのもので、付け袖がついた薄手のピンクのワンピースだった。
それでは、服のモチーフとしては惹かれないはずのアリスはどういう所に僕が惹かれたのか。それは僕が子供の頃、新神戸のオリエンタルホテルの地下に置いてあった不思議なアリスのホログラムテレビだった。どういう仕組みで動いているか分からなかったが、画面を覗き込むと、アリスやうさぎ達が立体映像として表れるのだ。僕は親に連れられて新神戸オリエンタルホテルを訪ねるたびに、このホログラムテレビを楽しみにしていた。だから僕にとってのアリスはテニエルの原画よりも、この不思議なホログラムのアリスだったのだ。
高島屋のアリス展は、国内外の様々なアリスの挿絵を展示していたのだが僕はその中でも一つのアリスに注目した。そのアリスはとてもスタイリッシュで、クールで、セクシーだった。他の画家によるアリスが子供向け絵本の域を脱していない姿のままでいるのに対し、そのアリスは明らかに『大人のためのアリス』であった。特別セクシーな装いをしているわけでもなく、とびきり特殊な色彩をもちいているでもない。ただ、アリスの強い視線、ノーブルな鼻筋がそう感じさせた。いわゆる品性と知性を兼ね備えたアリスの姿だった。作者の名は金子國義(1936〜)。もちろん、すぐにその場で画集『アリスの画廊』を物色した。僕は購入を決めるためにパラパラとめくっているとぞくりとするほど恐ろしくも不思議な文章にひかれた。それがかの有名なジョルジュ・バタイユ原作の『眼球譚』だったのだ。僕はおもむろに画集を閉じると、レジに向かって声をかけた。デパート内の喫茶に入るとすぐに袋を開け、中身を確認する。不思議な少年少女の不思議なお遊戯の世界だ。きりりとしたレモネードを口に含みつつ、再び僕は新しい世界に引き込まれていった。赤と黒が多く、女性の眉は吊り上り、何かを叫んでいる。少女達は寄宿舎の一室で不思議なお遊戯を始める。まるでヨーロッパの昔々の童話のようだ。だがそれはただの童話ではない。とてもとても恐ろしくてとてもとても残酷な童話なのだ。そしてその究極の位置に値する物語こそが金子國義が挿絵を担当したジョルジュ・バタイユの『マダム・エドワルダ』、『眼球譚』そしてポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』であった。
高校生になった頃、僕はこれらの作品を一気に読んだ。中でも、ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』はとても繊細で、ノーブルで、エレガントな女性的な作品だった。ちなみに僕がバタイユ作品の中で最も愛したのは『マダム・エドワルダ』でも『眼球譚』でもなく、『死者』という短編だった。ひょんなことから金子國義のアリスの画集からスタートした僕は、さらに絵画の世界からジル・ベルケ、イリナ・イオネスコ、ヘルムート・ニュートンといった写真の世界へも足を踏み入れることとなった。これら写真家の話はここで言う絵画とは畑違いなので詳しく話すのは省くことにする。ただ、金子國義の作品から生まれる隠れた思想や美意識は、後に僕がゴシック・ロリータとして生まれ変わった事に少なからず影響しているのは事実ではないかと最近になって思うようになった。


これら僕に影響を与えてくれた画家達にはあまり共通点は見られない。共通点がほぼないからこそ、彼らはそれぞれの個性で以って僕に強烈な刺激を与えてくれるのだ。僕の第4の絵画のルネッサンスはまだ訪れていない。いつ訪れるのかは僕自身が知る由もない。ただ言えるのは、僕の絵画を巡る旅はまだまだ終わることなく続くのであろう、ということだけだ。