志村,後ろ〜っ!!◆
ちなみに僕はドリフターズの大ファンである。彼らは半端じゃなく
面白い。僕の中では彼らを凌駕する笑いの天才はいまだ現れていない。
大掛かりなセットや不思議なメイクや衣装。ほぼトーク内容だけで
笑いを取る事を目的とした漫才師とはそういった点で大きく違う。
勿論僕は漫才や落語は大好きで毎週日曜日の笑点は
日本人には無くてはならない存在だし,漫才番組を見ないわけではない。
特に笑い飯と南海キャンディーズはかなりのお気に入りだ。
しかしそれにも増して僕がドリフターズを好むのはそのセットや衣装,
メイクと言った視覚的笑いを僕自身が好む傾向にあったのだ。とすると一般の漫才や
落語は言語的笑いということになる。同じ視覚的笑いを持った作品を挙げる
と,最近では『Mr.ビーン』などが挙げられる。言語的笑いに比べて視覚的笑いは
言葉の分かりづらい外国人や小さな子供までが楽しめるのが特徴である。
もうひとつのメリットはたとえばなにげなくリモコンを操作していて
言語的笑いの番組を見たとき,暫く見ていなくては雰囲気や笑いが
全くつかめない。しかし,視覚的笑いの場合,いきなり画面におかしなメイク
や奇抜な服装をした姿が現れたとしたら大抵の人はカウンターパンチを
食らい,番組に釘付けになる。ドリフターズでみかける奇抜なセットやスタイルは
瞬時に視聴者を自分たちの世界へ引きずり込むことになる。
それらのドリフターズの視覚的笑いを重視する傾向は後々,あのモンスター
番組『8時だヨ!!全員集合』が放送終了した後でも,『加トちゃんケンちゃん
ごきげんテレビ』に受け継がれているのである。大げさなメイクや
派手なカーチェイスはその当時子供だった僕を非常にワクワクさせたものである。
残念ながら言語的笑いにはそう言うドキドキ感やワクワク感はないわけでもないが,
視覚的笑いほどには伝わりにくい。
つい先日,加トちゃんとケンちゃんを囲んだ,あの頃を回想する番組を
やっていたが,番組内では『あの頃はバブルだったからあんな派手な
爆発やカーチェイスができたのだ』と言っていたが,たとえバブルであろうと
なかろうとああいう番組は必要なのだ。言葉の分からない人や小さな子供にも
笑いと言うものを届けるべきである。


さて,長い長いドリフの歴史ではあるが,ファンは世代によって2つに分かれる。
それは『志村派』と『荒井派』である。今の20代以下の若者は
ほとんどが志村派であろう。あるいは荒井注が元ドリフターズの
メンバーであり,その人がやめたことで志村けんが入ってきたこと自体
知らない人も多いと思う。そう言う僕も高校生になるまでそのことを知らな
かったのだから。さて,ドリフターズが荒井志村というメンバーチェンジを
遂げた後,明らかに違うものがある。それはスリラー系コントの誕生,
通称『志村後ろ』である。スリラー系コントそのものはチャップリンの無声映画
の時代から存在していた。海外のコメディ映画でもお化けや妖怪を
登場させるものは多い。しかし,日本ではあまり馴染みが無かったのでは
ないかと思う。スリラーやホラーは笑いとは常に隔離された存在であったのだろう。
僕はドリフターズにケンちゃんが入ったことにより,日本でもそれら二つの
エンターティーメントは思わぬ融合をすることとなった。この『志村後ろ』
は当時の我々に思わぬ衝撃を放った。
@
ドリフターズのメンバーがピラミッドの中,あるいはお化け屋敷と言った不気味な場所に入る。
A
なぜかそこでケンちゃんのみが置き去りにされる。
B
ひとりぼっちのケンちゃんがウロウロしているといきなりお化け登場。(あるいは何かが動く)
C
観客,ケンちゃんに向かって『志村,後ろ〜っ!!』と叫ぶ。
D
ケンちゃん,後ろを向く。お化けと目が合う。慌てる,叫ぶ。
E
ケンちゃんの声を聞いて他のメンバーが戻る。
F
しかしお化けはもうそこにはいない。
G
なにもなかったじゃないかとメンバーがいなくなる。
以下,AからGを繰り返す。その後,
H
メンバーがいる全員の前でお化けが出てくる。しかもお化けのオンパレード。
以上の要領で,『志村,後ろ』コントは演じられる。ある程度のパターンは
決まっているが,それにも関わらず視聴者はそれを見ずにはいられない。
怖いもの見たさ,という言葉がある。怖い,見てはいけない,と自覚しながらも
見てしまうアレである。『志村,後ろ』コントは人間のそう言った怖いもの見たさの
心理をコントで再現しているのは言うまでも無いが,『志村,後ろ』の真骨頂は
見るものをぞくぞくさせるおどろおどろしさと,恐怖に慄くケンちゃんの表情や
叫び声の滑稽さにある。ビビリまくりのケンちゃんの反応や表情を見て多いに
笑う我々だが,もし自分たちが現実にこのケンちゃんと同じ状況に置かれたら
とても笑っていられたものではない。自分がもしそう言う目に遭って,そんな自分を
笑っている人がいたら腹立たしいやら悔しいやらと思うはずだ。なんとも悪趣味な
話である。しかしそれを悪趣味ではなく,エンターティーメントとして楽しめるのは
それはあくまで現実ではなく,どこかコミカルなフェイクの世界だからである。
もし,『志村,後ろ』のセットがもっとリアルで現実味を帯びていたら,ケンちゃんの演技が
コミカルではなく,リアルなものだとしたらもっと後味の悪いものになっていただろう。
さらに言うならばセットが適度にちゃちで,ケンちゃんの演技が大げさでコミカルである
からこそ,『志村,後ろ』的スリラーコントは見るものを捕らえてしまうのである。

『志村,後ろ』的スリラーコントはのちのち,『8時だヨ』から『ごきげんテレビ』に
引き継がれることとなる。我々志村派の記憶に強い衝撃を残した『スイカ人間』
などがそれを代表している。ケンちゃんがスイカを食べ過ぎてスイカ人間になってしまい,
回りの人々をもスイカ人間にしていくのである。よくよく考えるとどこかでみた
ホラー映画の焼き増しのような気がするような内容ではあるが,
あたかも視聴者はスイカ人間が全く新しいストーリーの産物として恐れおののき
ながらもわくわくしてそれを見るのである。それはスイカ人間の奇妙なスタイルと不可解
な行動,周りの人間の行動が恐怖よりも失笑と好奇心といったドキドキ感を与えてくれているからなのだ。その後,ケンちゃんを中心としたスリラーコントはさらに新作を生むことになる。お化け屋敷でバイトをする話,ケンちゃんが幽霊に惚れられて取りつかれる話,などなど。最近でもバカ殿シリーズで,だるまさんがころんだをしているとリングの貞子が増殖しながら登場するといったシーンがある。これは『志村後ろ』の発展型だと僕は考えている。ホラーとお笑い,この2つをコントとして融合させたケンちゃんは恐らく日本には他にはいないと思う。また,これらのホラー系スリラー系のコントはそういったセットやメイクが必要であり,さらには音楽や雰囲気をいかに表現するかにかかっていると思う。それらは『視覚的笑い』の表現しうる全ての可能性を最大限に引き出さねばなるまい。
スリラー系に限らず,ドリフターズや加トちゃんケンちゃんはそういった『視覚的笑い』を
極限まで活用,利用した天才なのかもしれないと僕は思っている。あの頃のドキドキ感
ワクワク感を与えてくれた『視覚的笑い』を今,一度,と切に願う。